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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2211号 判決 1989年4月13日

原告

岡   康 憲

右訴訟代理人弁護士

瀧 瀬 英 昭

被告

大阪市

右代表者市長

西 尾 正 也

右訴訟代理人弁護士

村 田 哲 夫

主文

一  被告は原告に対し、金一四七万円及びこれに対する昭和六二年三月二四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和六二年三月二四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、賃借人として昭和五八年一一月一四日賃貸人たる被告との間で大阪市城東区古市一丁目一七番、古市南第二住宅二号館(以下「本件建物」という。)二〇一号室(以下「二〇一号室」ともいう。)について以下等の約定による賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結し、同年一二月から、妊娠八か月で共働きの妻とともに、これに入居した。

(一) 期限の定め無し。

(二) 賃料は、入居時から昭和五九年三月三一日まで月額二万七三〇〇円、同年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで月額二万八八〇〇円、同年四月一日から月額三万〇五〇〇円。

2  本件建物は、鉄筋八階建の各階一三戸合計一〇四戸の共同住宅で、中央にエレベーターと階段が、東西両端にはエレベーターはなく階段のみがそれぞれ附設されているが、原告が入居した二〇一号室は、本件建物の東端の階段に面した二階にあり、その真上は三〇一号室で、原告入居以前から訴外倉屋政和(昭和二二年一二月一〇日生、以下「倉屋」という。)が被告から賃借してこれに居住していた。

3  倉屋による生活妨害と原告一家の生活の状況

(一) 原告は、入居当初昼間留守中ベランダに瓶の破片が落ちていて不思議に思い、深夜就寝中階上の大きな物音に目覚めさせられて驚いていたが、入居約二週間後の午後一〇時ころ妻が入浴中突然入口ドアが激しく叩かれ大声がするので驚いて玄関口に出てみると、外に倉屋が興奮して立っていて。倉屋から「風呂の戸を閉める音がうるさい。」と今にも殴りかからんばかりの気勢と大声で罵倒された。倉屋は、自室に戻ってからは、四股を踏み丸太棒様のもので床を突くような音を立てて、部屋中隅々まで歩き回り、原告に対し嫌がらせをした。

(二) その後も、倉屋は、何処かで物音でもしようものなら、飛び出してきて、階段を上下し各戸のドアを蹴飛ばしながら発音源を探し廻る有様であり、三〇一号室と階段を共通する上下の居住者は、日頃息を潜め足音を忍ばせて生活している状況であった。

原告やその妻は、掃除機、洗濯機の使用を倉屋の不在を気配で確かめてからするようにし、水音や戸の開閉にも極力気をつかい、物音を立てないように神経を使って生活したが、倉屋の度を越した衝動的な嫌がらせは、変わらず、さらには、物音に関係なく間断なく行われるようになり、連日連夜原告ら上下の居住者に及んだ。

(三) ところで、原告の妻は、昭和五九年一月二六日病院で長女を出産したが、右事情から帰宅することができないため、やむなく同年四月末まで守口市の実家で暮らし、倉屋が後記(四)のとおり原告ら本件建物居住者に対する暴行脅迫被疑事件により逮捕され不在になった五月に帰宅した。ところが、倉屋は、その後、後記(四)のとおり起訴されたものの、同年七月末ころには執行猶予の判決を受けたため、再び三〇一号室に戻って来て、それからというものは前にも増す嫌がらせを再開し、連日連夜のように原告方ドアを足蹴にし、原告方ベランダに汚水を撤いて洗濯物を汚すなどの傍若無人の振舞をした。そのため、原告の妻は、同月から原告出勤後子供を抱いてタクシーで守口の実家に行き、夕方原告の帰宅時間に合わせてタクシーで帰宅するという生活を続け、自宅の掃除洗濯は昼間子供を実家において一人帰宅して倉屋の様子を窺いながら行うほかはなかった。また、原告は、右の事情でベランダを使用することができないため、洗濯物はやむなく室内に干すことにしたほか、布団を陽に干すことができなくなった。

(四) 倉屋は、昭和五八年ころから本件建物居住者に対し前記(一)同様の暴行、脅迫を繰返していたものであるが、昭和五九年四月末ころ原告の留守中に原告方入口ドアを殴打、足蹴して凹ませ、玄関横の窓硝子を破壊し、階上から原告方ベランダに空瓶、木切れ等を大量に投げ込んだ際、それまでに原告ら本件建物居住者に対して繰返してきた暴行、脅迫行為により逮捕、勾留され、その後起訴されたが、同年七月末ころ懲役八月、執行猶予三年の判決を受けて、三〇一号室に戻って、前記(三)のとおり原告とその家族に対する嫌がらせを再開した。

さらに、倉屋は、昭和六〇年六月ころ、原告の妻と一〇二号室居住の野口に対しそれぞれ小突くなどの暴行を加えて、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪で逮捕、起訴され、今度は懲役一〇月の実刑判決を受けて服役したが、昭和六一年一一月ころ三〇一号室に戻ってくると、またしても嫌がらせを再開し、右嫌がらせは酷くなるばかりであった。

そして、倉屋は、昭和六二年二月七日、原告の妻が一才の次女(昭和六一年一〇月五日生)を抱き三才の長女を連れて帰宅してきたのを原告方玄関前で待ち伏せたうえ、同所においていきなり同女を仰向けに引き倒し、髪を引張り、幼児を抱いて庇っている同女の肩や背中等を何回も足蹴にして加療約五日を要する両肩・腰背部等打撲、顔面背部擦過傷の傷害を負がせた。

(五) 以上のとおり、原告とその家族は二〇一号室に入居して以来倉屋から連日連夜のように常軌を逸した嫌がらせ、暴行脅迫等(以下「生活妨害行為」ともいう。)を受け、耐え難い苦痛を強いられたもので、原告は倉屋から最初の嫌がらせを受けた昭和五八年一二月中ころ以降被告の都市整備局住宅事業部管理課(以下「被告管理課」という。)に対し数一〇回以上電話しあるいは直接足を運んで倉屋の生活妨害行為の実情を訴えこれにつき善処するよう要請したが、被告は原告の窮状を理解しようとせず、また、原告が被告において倉屋の生活妨害行為に対して何らの対策も講じられないのなら原告を他の空室に転居させて欲しい旨願い出ても、被告は、原告は未だその条件に適合しないとして、これに応じようとしなかった。

そのため、原告は、昭和六二年二月二二日やむなく本件賃貸借契約を解除し自己の費用をもって二〇一号室から退去した。なお、原告が三年余りの期間二〇一号室に居住していたのは、二〇一号室が住居として通常の使用ができる状態にあったからではなく、原告が経済的事情等からやむなく過酷な状態に耐えたからである。

4  倉屋の他の本件建物居住者に対する生活妨害行為の状況

倉屋による生活妨害は、原告とその家族のみを対象としたものではなく、三〇一号室の近隣に居住する者を悉く対象とするものであって、その主な被害者と被害内容は左のとおりである。

(一) 訴外堀北朝子(以下「堀北」という。)は、昭和五七年九月二三日に、後日原告が入居することになる二〇一号室に入居したが、毎日のように倉屋から脅追され、嫌がらせを受けて畏怖し、睡眼不足からノイローゼになり、夜逃げ同然に昭和五八年五月二八日退去したものである。嫌がらせ脅迫の方法は、鉄製ドアをドンドン足蹴りし、「音がうるさい、堀北出て来い、ぶっ殺したる。」と怒鳴り、真上の三〇一号室で相撲の四股を踏むような音をさせ、ベランダの鉄パイプを叩いて午前四時にまで及んだ。

堀北は倉屋を刺激しないように、襖と柱の間に電話コードを挟み、襖と襖の間にフエルトを貼って襖の開閉に音をさせないようにし、さらに足音を忍ばせ歩き、夜中にトイレに行くのも我慢して、少しの音もさせないように注意したが、右嫌がらせのため睡眼不足でノイローゼになり、夜だけ友人方で寝泊りしたが、朝になって帰宅すればベランダにビール瓶が投げ込まれて破片が散乱し、或いは板ぎれや水をまき散らすなどされて、被告管理課にも数回相談に行ったが埓があかず、遂に夜逃げ同然に二〇一号室を退去した。

(二) 訴外金川時子(以下「金川」という。)は、倉屋の階上である四〇一号室に昭和五七年九月頃入居したが、三日にあけず倉屋から嫌がらせを受け、昭和五八年一〇月中頃倉屋から突き飛ばされるの暴行を受けて退去したものである。

金川は、倉屋から、右入居日に引越しの荷物を解いている際、「ドアの音がうるさい。」として嫌がらせを受けたのを手初めに、その後も「音がうるさい。」として、「刃傷沙汰にしてやる。」などと云って脅迫され、深夜の三時・四時に鉄製ドアをドンドン足蹴りされ、換気扇口から泥水を投げ入れられるの嫌がらせを受けた。そのため、金川は、室内で爪先立って歩くなど音をさせないようにしたが、右嫌がらせに耐えられなくなって友人の家に身を寄せていたが、当番であることから帰宅して共用部分を掃除中前記のとおり倉屋から暴行を受けるに至ったため、やむなく四〇一号室から退去した。

(三) 訴外野嶋喜美子は、倉屋の一階置いた階上の五〇一号室に昭和五七年六月頃から入居しているものであるが、昭和五八年一〇月頃から毎日のように、「音がうるさい。」としてドアを足蹴りされ、昭和五九年三月五日には「くそババー出て来い、顔を切ったろうか。」などと脅迫嫌がらせを受けたため、同日から勤務先寮に寝泊りさせて貰うに至った。

(四) 訴外越前長松は、倉屋の階下で一部屋おいた一〇一号室に息子と二人で入居していたが、前同様音の件で、倉屋からドアを足蹴にされ、「頭をカチ割ったろうか。」などの執拗な嫌がらせ脅迫を受けたことから、病弱な息子は耐えられなくなって昭和五九年一月息子のみ退去したが、その後も嫌がらせは続き、一日として不安のない生活を送ることが出来なかったとの事である。

(五) 訴外野口亀彦は、昭和五八年から一〇二号室に入居しているが、同年一一月頃から倉屋に「音がうるさい。」としてドアを蹴るなどして脅迫され、妻が睡眠不足でノイローゼとなり、夜間息子夫婦方で世話になっている。

(六) 訴外竹本信年(以下「竹本」という。)は、昭和五七年四月倉屋の隣りの三〇二号室に入居した。

昭和五八年の六、七月頃倉屋は、竹本方の音がうるさいといいがかりをつけるとともに、その仕返しとして竹本方との境の壁をドンドンと続けざまに叩き、風呂場に行ってものすごく大きな金属音を出し、右音が異常に大きく辛抱出来る状態でなかった。倉屋は、このようなことを一週間程続けた後、今度は自室で故意に飛んだり、襖を思い切り閉めたり、炊事場・風呂場で大きな音をさせて嫌がらせをした。倉屋が以上のような行為をする時間帯はまちまちで、午前九時頃或いは午後二時頃から午前二時までと休む暇もない程暴れ廻り、竹本のみならず一〇一号・二〇一号・四〇一号・一〇二号室の居住者も同じような被害を受けていた。

(七) 訴外稲垣実(以下「稲垣」という。)は、昭和五七年三月頃から四〇二号室に兄弟三人で住み、その隣の四〇三号室に両親が居住した。

倉屋は、昭和五八年三月頃から、両親の住む四〇三号室に「お前のところから音が出ている静かにしろ。」などと大声で叫び玄関横にある機械室の鉄板を足蹴にする等の大暴れを一ヶ月位続けた。また、夜遅く自室で騒ぎ、鉄管を叩いてキーンキーンと高い金属音を鳴らし続けたため、稲垣は不眠症となって、神経性十二指腸胃かいようにかかった。

また、倉屋は、四〇二号室は風呂の浴槽を取り除いて倉庫にして使用しているのに、「四〇二号室の風呂から水の音がする、風呂のオケの音がする。」と夜遅く執拗に足蹴りし乍ら怒鳴った。そのため、稲垣は、倉屋に対し、恐怖感を覚え、一日として気が休まる日はなかった。

5  被告の債務不履行

(一) 被告は本件賃貸借契約に基づいて原告に対し二〇一号室を住居として平穏で円満な使用ができる状態で引渡すべき義務があるというべきところ、被告が前記4の(一)記載のように二〇一号室の前居住者である堀北から数回相談を受けたことから二〇一号室が前記3、4記載のような通常人の受忍限度をはるかに越える倉屋の生活妨害行為により右状態を欠くに至っていることを知っていた(仮にそうでないとしても、容易にこれを知ることができた)にもかかわらず、二〇一号室を右状態を欠くまま原告に引渡したことは、被告の原告に対する右義務についての債務不履行に当る。

(二) のみならず、被告は本件賃貸借契約に基づいて原告に対し二〇一号室の引渡後も二〇一号室につき前記状態を維持すべき義務があり、したがって、たとえば、二〇一号室につき前記状態が第三者の侵害行為により阻害された場合には、右義務に基づき、能う限り右侵害行為を排除して二〇一号室につき前記状態を回復すべき義務があるというべきところ、被告が前記3の(五)記載のとおり原告から倉屋の生活妨害行為について度々実情を訴えられるとともにその善処を要請されたのに何らその対策を講じなかった(すなわち、倉屋の原告に対する前記生活妨害行為は、被告に対する三〇一号室についての賃貸借契約上の義務に違反し、かつ被告との間の信頼関係を破壊するに足りるものであったから、被告としては、倉屋に対し右賃貸借契約を解除のうえ三〇二号室の明渡を求めることもできたのに、そのような行為に出なかった。)ことは、被告の原告に対する右義務についての債務不履行に当る。

6  原告の損害

原告は、被告の前記債務不履行により、以下のとおり合計三〇〇万円の損害を被った。

(一) 二〇一号室を円満に使用できなかったことによる損害

九七万五〇〇〇円

前記入居期間中に原告が被告に支払った家賃は、入居の日である昭和五八年一二月一日から昭和五九年三月三一日まで月額二万七三〇〇円、同年四月一日から同六〇年三月三一日まで月額二万八八〇〇円、同年四月一日から退去の日である昭和六二年二月二二日まで月額三万〇五〇〇円であるが、この間原告とその家族が倉屋に脅迫されて萎縮して生活し円満な住居として使用出来なかったことによる損害は、月額二万五〇〇〇円として合計九七万五〇〇〇円を下らない。

(二) 原告の妻の避難のために要した費用 三〇万円

また、前記入居期間中、原告は妻が倉屋の前記生活妨害行為を避けるためタクシーを利用して実家に避難する必要が生じその費用を出損したが、その金額は三〇万円を下らない。なお、被告は、原告から前記のとおり度々実情を訴えられるなどしていたことから、原告の妻が出産時(二度)等には二〇一号室での生活に耐えることができないため二〇一号室から避難せざるを得ないことを知っていた。

(三) 慰藉料 一七二万五〇〇〇円

原告は被告の前記債務不履行により前記のとおり耐え難い精神的苦痛を受けたが、これに対する慰藉料は一七二万五〇〇〇円を下らない。

7  よって、原告は被告に対し、債務不履行に基づく前記損害金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年三月二四日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否と被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の(一)ないし(四)の事実は全て不知。同3の(五)の事実中、原告から被告管理課に電話があり、原告が被告管理課を訪れたこと、原告が昭和六二年二月二二日二〇一号室から退去したこと及び原告が他の空室に転居させて欲しい旨願い出たが被告が原告は未だその条件に適合しないとしてこれに応じなかったことは認めるが、その余は不知ないし争う。

4  同4の事実は全て不知。

5  同5の主張は争う。賃貸借契約においては、賃貸人は賃借人に対し、賃貸借の目的物を使用収益させる義務を負っているところ、賃貸人が賃借人に右目的物を使用収益させるためには賃借人がこれを占有することが必要であるから、賃貸人は賃借人に対し、右使用収益させる義務として契約開始時においては右目的物の引渡義務を負い、また、契約存続中賃借人が第三者に右目的物の占有を妨害された場合には、右妨害を排除する義務を負うが、賃貸人の右使用収益させる義務は、それに尽きるのであって、原告主張の各義務までも含むものではない。そうでないと、たとえば、賃貸借契約締結後にいわゆるニューサンスにより日常生活を送ることが困難となった場合のように、目的物の使用収益は可能であるが第三者の行為あるいは不可抗力により生活環境が悪化して「平穏で円満な使用収益」ができなくなった場合でも、賃貸人は賃借人が受けているニューサンスを排除するため当該第三者の行為を差し止めるなど何らかの措置を講じない限り常に債務不履行責任を負うことになって、不都合である。また、近隣関係は一般には相互の自治に任されており、しかも、その範囲は集合住宅では通常の家屋相互間より広いから、被告(その職務を現実に担当する部局及び監理員)は監督者として本件建物における近隣居住者間の紛争を仲介幹旋する立場になく、右紛争は原則として当事者間で解決を図るべき性質のものである。したがって、被告には何ら原告に対する債務不履行はない。

なお、仮に倉屋に原告主張のような生活妨害行為があり、被告が本件賃貸借契約に基づいて原告に対し倉屋の右行為につき善処すべき義務を負うものであるとしても、被告は、以下に述べるとおり、右義務を履行したものというべきであるから、被告には何ら原告に対する債務不履行はない。

すなわち、倉屋は昭和五七年三月一日付で本件建物三〇一号室に使用承認を受けたものであるところ、翌年末頃になって倉屋が粗暴な行動で近隣に迷惑をかけているとの報告があったので、被告は、昭和五八年一二月二〇日倉屋を呼出したが、倉屋が来なかったので、同月二二日被告の係員が倉屋宅を訪ね事情を聴取した。その後も、昭和五九年一月一一日の他何回か倉屋に面会し話合いをした。また、昭和六二年二月頃にかけて倉屋に住宅の入替え幹旋を試みたところ、倉屋は、一時これに応じる気配をみせたが、結局これに応じなかったものである。なお、被告は、住宅に困窮している倉屋に対し住宅福祉という観点から三〇一号室への入居を認めたものであるから、倉屋が原告主張のような生活妨害行為をしているからといって、ただちに倉屋の入居を取消し、明渡しを求めることはできないし、また、原告ら一方当事者の言分をそのまま採用して倉屋に原告主張のような生活妨害行為があると認めることも困難であったから、倉屋に対し三〇一号室への入居の取消し(賃貸借契約の解除)をしなかったのである。以上のとおり、被告としては、倉屋の右行為について能う限り善処したのであるから、前記義務を履行したものというべきである。

6  同6の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、請求原因3、4の各事実(もっとも、請求原因3の事実中、原告から被告管理課に電話があり、原告が被告管理課を訪れたこと、原告が昭和六二年二月二二日二〇一号室から退去したこと及び原告が他の空室に転居させて欲しい旨願い出たが被告が原告は未だその条件に適合しないとしてこれに応じなかったことは当事者間に争いがない。)及び、被告管理課においては昭和五八年一一月中に本件建物監理員から倉屋の請求原因3、4記載のような生活妨害行為につき相談を受けており同年一二月になって原告その他の近隣居住者から倉屋の右行為につき実情を訴えられるとともにその善処を要請されたため、同課管理係員においてそのころ本件建物に赴き倉屋と原告らの双方に面会して事情を調査した結果おおむね実情を把握することができたが、倉屋が迷惑を受けているのは自分である旨強く主張して自己の非を認めようとしなかったため、その後何度か倉屋に面会のうえ、倉屋の感情をあまり刺戟しないような穏やかな方法で倉屋に対し、原告らに対する生活妨害行為をやめるように、あるいはまた、他の空室に転居するように説得を試みたが、倉屋がこれに応じなかったため、被告としては尽すべき義務は尽したとして、それ以上の対策を講じなかったことが認められ、証人勝田靖彦の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三被告の債務不履行について

1 一般に人の住居に使用される建物の賃貸借契約においては、賃貸人は賃借人に対し、いわゆる使用収益させる義務として、賃貸借の目的物である建物を人の住居(ちなみに、これには、当事者がその契約において当然の前提としている一定の平穏さが要求される。)としての円満な使用収益ができる状態(以下「本件状態」という。)で引渡すべき義務があるというべきであり、そして、このことは本件賃貸借契約についても妥当するから、被告は本件賃貸借契約に基づいて原告に対し二〇一号室を本件状態で引渡すべき義務があったというべきである。

しかるところ、前記一、二説示認定の事実によれば、倉屋は、音に異常な程過敏でかつ粗暴であるところから近隣居住者の通常の生活から必然的に発生する各種の音(以下「生活音」という。)に対し異常な反応を示し、その生活音を発生させた近隣居住者に対し「音がうるさい。」と怒鳴り込み、立腹の余りその仕返しと称して三〇一号室において日常的に故意に騒音等を発生させ、時には暴行脅迫に及ぶというもので、倉屋のこのような生活妨害行為のため、殊に倉屋の居住する三〇一号室の真下に当る二〇一号室は原告の入居前から、誰が入居したとしてもその物的設備を通常の用法に従って円満に使用できないのみならず人として通常の平穏な生活を営むことができず、このことによる不利益や精神的苦痛は通常人の受忍限度をはるかに越えていたものと認められるから、二〇一号室は原告の入居前から本件状態を欠いていたものというべきであり、また、前記二認定の事実によれば、被告は被告管理課職員が原告の前居住者である堀北から倉屋の生活妨害行為につき数回相談を受けていたことから右事実を知りないしは容易にこれを知ることができたものと認めるのが相当であるから、被告が本件状態を欠くまま二〇一号室を原告に引渡したことは、被告の原告に対する右義務についての不履行に当るというべきである。

2 のみならず、右1前段説示の事実によれば、被告は本件賃貸借契約に基づいて原告に対し二〇一号室の引渡後も二〇一号室につき本件状態を維持すべき義務があり、したがって、たとえば本件のように第三者の侵害行為により二〇一号室について本件状態が阻害された場合には、右義務に基づいて能う限り右侵害行為を排除して二〇一号室につき本件状態を回復すべき義務があるというべきである。

ところで、集合住宅の一区画である三〇一号室についての被告と倉屋間の賃貸借契約においては、賃借人である倉屋において他の居住者の生活妨害となる行為をしないことが当然の前提として黙示的に約定されているものと認めるのが相当である(ちなみに、この点については、公営住宅法、大阪市営住宅条例、同条例施行規則上に規定がなく、本件全証拠によるも右賃貸借契約上明示の約定が存することを認めるに足りない。)ところで、倉屋の原告その他の近隣居住者に対する前記生活妨害行為は右約定に違反しかつ被告との間の信頼関係を破壊するに足りるものであるから、被告は説得等の方法により右行為をやめようとしなかった倉屋に対し右信頼関係の破壊を理由に右賃貸借契約を解除のうえ三〇一号室の明渡を求めることができるものというべきである。

してみれば、前記二認定のとおり、被告が原告から度々倉屋の前記生活妨害行為につき実情を訴えられるとともにその善処を求められたことから倉屋に対し説得等の方法により右行為をやめさせようとしたものの、倉屋がこれに応じようとしなかったため被告として尽すべき義務は尽したとし、倉屋に対してはさらに前示のとおり前記賃貸借契約を解除のうえ三〇一号室の明渡を求めることもできたのにそのような行為に出なかったことは、被告の原告に対する前記義務についての債務不履行に当るというべきである(なお、被告は倉屋の原告その他の近隣居住者に対する前記生活妨害行為について能う限り善処したのであるから原告に対する債務不履行はない旨主張するが、被告の右主張は理由のないことが明らかである。)。

四原告の損害について

1 請求原因6の(一)の損害につき検討するに、<証拠>によれば、原告は被告に対し二〇一号室の家賃(一か月未満の日数については日割計算による。)として、入居の日である昭和五八年一二月一日から昭和五九年三月三一日まで月額二万七三〇〇円、同年四月一日から昭和六〇年三月三一日まで月額二万八八〇〇円、同年四月一日から退去の日である昭和六二年二月二二日まで月額三万〇五〇〇円を支払ったことが認められ、前記二、三認定説示の事実によれば、原告は被告の前記債務不履行のため二〇一号室に居住していた右期間のうち倉屋が逮捕等により不在であった昭和五九年四月末ころから同年七月末ころまでの約三か月間及び昭和六〇年六月から昭和六一年一一月までの約一七か月間を除くその余の期間中倉屋から連日連夜のように通常人の受忍限度をはるかに越える前記生活妨害行為を受けたため二〇一号室の住居としての使用が著しく阻害されたばかりでなく、右倉屋の不在期間についてもこのこととの関連において円満な使用ができなかったため損害を被ったことが明らかであるところ、原告の右損害額としては、右倉屋の不在期間につき前記家賃額の約三割に相当する一八万円、その余の期間につき前記家賃額の約九割に相当する四九万円の各損害があったものとして、これを合計六七万円と算定するのが相当である。

2  請求原因6の(二)の損害につき検討するに、証人岡佳津子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は妻が倉屋の前記生活妨害行為を避けるため度々タクシーを利用して実家に避難することを余儀なくされその費用を出損したことが認められるが、その費用額については右各証拠その他本件全証拠によるもこれを的確に認めるに足りないから、右認定の事情を後記慰藉料算定の際に考慮するにとどめる。

3 請求原因6の(三)の損害につき検討するに、前記二、三に認定説示したとおり、原告は被告の前記債務不履行により二〇一号室に居住した全期間にわたり倉屋の前記生活妨害行為のため耐え難い精神的苦痛を受けついに二〇一号室での生活を断念して他に住居を求めることになったものであること、また、原告は右期間中右2認定の費用及び引越費用を出損したことその他本件に顕われた一切の事情を斟酌すれば、原告が被告の前記債務不履行により受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、八〇万円が相当である。

五結論

以上の次第で、原告の請求は、被告に対し前記各損害金の合計一四七万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和六二年三月二四日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松尾政行 裁判官河村潤治 裁判官山本善彦)

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